人の役に立ちたいなんて思わなくても人の役に立てるんだよ


誰かの役に立ちたいとか、逆に人の役に立ちたいと思わないとか考えることはあるかな?

働いていたりすると自分の存在意義を、人の役に立っているかどうかで計ろうとすることってあるよね。

 

もちろん多くの人の役に立つことをした偉人達はすごい。

そんな偉人達を例にあげて小さな頃から人の役に立てる人間は素晴らしいんだから、そんな人間になりなさい、なんて育てられている人も多いだろうね。

 

そんな風に刷り込まれているから、本当に今やってることって人の役に立てることなのか疑問を抱いたり、人の役に立てるようなことをしないと認められないような気がして居心地が悪くて、いまいち自分に自信が持てないものだ。

 

何も悪いことをしてるわけじゃないのに、何となく今の自分のままでは人の役に立てていない、認められるような立派なことをしていない、なんて思ってしまう。

 

でもね、そんなに人の役に立ちたいなんて思わなくても人の役に立つことは出来るんだよ。

 

人の役に立つっていうのは結果論

まずね、人の役に立てる人間にならなきゃなんて思ってたら自分を認められるのは人の役に立てることをしたなって感じた時だけになっちゃう。

じゃあ人の役に立つようなことを出来てないなぁって感じた時にどうなるか?

 

自分はダメだな、頑張ってるけどまだまだ足りない、なんのために自分はいるんだろう、こんな風に感じてしまう。

自分がやってきたことを否定してしまって、自分で自分のことすら認めてあげられなくなっちゃう。

それじゃあなんだかつまらない。

 

それにね、せっかく頑張ったのに感謝されないってことだってある。

人の役に立ちたいと思って行動しちゃうと、いくら頭では分かっていても感謝されないならもうやらないでいいやって思っちゃうんじゃないかな?

きみもきっと感謝されることを目当てにしすぎて、あいつはやってあげたのに感謝すらしない、なんて腹を立てた経験もあるだろう。

 

だからね、はじめから人の役に立ちたいと思って行動なんかしなくていいんだよ。

人の役に立つようなことが出来たかどうかなんて、結果が出ないと分からないんだし、何が人の役に立つのかなんて簡単に分かるもんなんかじゃないんだから。

 

人の役に立ちたいと思わなくても役に立てる

実はね何もしなくても、知らないうちに誰かのためになっちゃってることってたくさんあるんだよ。

人の役に立ちたいと思わないのに、勝手に誰かの役に立ってるもんなんだ。

 

挨拶されただけでも嬉しい人もいるし、声をかけただけでも喜んでくれる人もいる、きみが元気でいるだけで幸せな人もいる。

たったこれだけのことで?って思うようなことで、きみが想像した以上に喜んでくれることなんていくらでもあるんだよ。

 

自分は当然のつもりでやったことでも人の役に立てることがあるんだから、まずはそんな力のいらない役立つことをやってみようよ。

当たり前に出来るような簡単なことで、たくさんの人のためになれたらって思うとワクワクしない?

人の役に立ちたいと思わないでも自然にやってしまうことで、当たり前にこなせちゃうくらい簡単なことで、なおかつそれがいつの間にか人の役に立つことが、きみがきみである理由なんだ。

 

だから頑張りすぎなくていいからね。きみはきみのままで十分、誰かのためになっているんだから。

 

 

辛くなったまたおいで。

それでは。

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