どこに行っても馴染めないなら旅人のように生きればいい

どんな場所に居てもここは自分の居場所ではないと感じてしまって、どうにも馴染めないことはある。

なんだか常に自分がよそ者のように感じてしまい上手く打ち解けることが出来なくて、深い繋がりを持てないんだ。

それは遠慮だったり謙遜だったり、上手く自分を表現できなかったり原因はいくつもあるだろう。

 

それでもどこにも馴染めないからと言って存在価値がないわけでも、いなくてもいいような人間というわけでもないんだ。

ただ、どこにも馴染めないなりの生き方っていうものが見つけられていないだけにすぎない。

自分を卑下してしまえば自信をなくして、ますます醸し出すオーラが卑屈になってしまう。

 

馴染めない自分を認めて受け入れてあげれば、そんな自分だって堂々と生きていけるようになり、自分はそういう人間なんだと割り切ることが出来るだろう。

自分を否定することなくそれも個性と捉えることでしか、自分自身の持っているものを活かして堂々と生きることは難しい。

 

どこに行っても馴染むことなく生きる様は、まるで旅人のようだ。

いくら仲良くなったとしても根付くことなく、ふとしたタイミングでいなくなってしまいそうな存在。

特別に反発するわけではないが、かと言って全てを委ねているわけでもない。

 

そんな旅人のように生きていれば、どこに行っても馴染めなくても何もおかしいことはない。

どんな場所でも、ただ少しの間そこに立ち寄り交流する。

そして気が向けば、また違う目的地に向けて身軽に飛び出して行ける。

 

郷に入りては郷に従えという言葉があるように、どこかに根付くためにはそこ独自のルールや空気のようなものがあって、それに迎合して生きていかなければ上手くその場に馴染むことは出来ない。

たとえその独自のルールや空気が良く思えなかったとしても、その場にいる以上はずっと縛られて生きるようになってしまう。

 

その点、旅人のように外から一時的に来た人間に対しては、そんな独自のルールや空気のようなものは適用されにくい。

だってしばらくすれば出て行ってしまい、いなくなるんだから。

そのルールや空気に縛られた人間にとっても、自分達のルール外の人間が時折現れることは新鮮さをもたらしていい刺激になるという側面だってある。

 

旅人のように生きていれば、どんな環境にもある程度うまく合わせられる器用さだって手に入れることが出来る。

どこに行っても誰と居ても自分を保ったまま人と交流できれば、それはもうどんな環境でも生きていけるということだ。

そして、適応力の高さを活かして簡単に新しい環境に飛び込むことが出来れば、次々と色んなところに移動して生きることが出来る。

 

そうやって環境がどんどん変わっていけば、それだけ多くの経験や視野の広さが手に入る。

その経験や視野の広さを、訪れた場所で新鮮な刺激として提供していくことが旅人として生きるきみの役割でもあるんだ。

自信を持って堂々と生きていけばいいよ。

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