世の中の役に立ちたいと思うことの罠

人は誰かの役に立つことで自分の存在を実感して、そこに生きる意味を見出す。

世の中の役に立つほどの存在になればそれはとても幸せなことで、自分にしか出来ないことをしているという実感だって得やすいだろう。

だからこそ人の役に立っているという感覚を得られない時ほど、自分が何のために生きているのかを見失ってしまったり、そもそも生きている意味などないんじゃないかと思ってしまう。

 

何事にも共通することだけど、手段を追いすぎた者は求める結果を手に入れることは出来ない。

自分の存在を確かめたいがゆえに人の役に立とうとする人間が人の役に立てることはない。

幸せになろうとするあまり結婚を望んだって幸せにもなれない。

人から認められたいあまりに有名になろうとしたところで悪名ばかりが広がってしまう。

 

こんな風に、世の中の役に立ちたいと強く思えば思うほど、求めるものからは遠ざかってしまうことになる。

本当は自分の存在を確かめたいという目的のために下心ばかりが大きくなってしまうと、そういう気持ちが表面にも溢れてきてしまうんだ。

 

何度も繰り返して似たようなことを伝えるけど、売れる営業マンは売りたいという気持ちを表に出さず下心を感じさせないし、モテる人間だってモテたいという下心を全然感じさせない。

世の中の役に立とうと必死になってしまっているのは、売り込みばかり激しい営業マンや、押せば何とかなると思って異性に逃げられるようなモテない人間と一緒なんだ。

 

だから、世の中の役に立ちたいと願うのであれば一番の近道は、その願望を捨て去ってしまうことだ。

自分の願望を捨てることが、実はその願望を叶える方法だっていうのは衝撃かもしれないけれどこれは真理なんだ。

 

世の中の役に立つということは、そこに他人の基準が入ってくる。

人によって何が役に立ったと感じるかなんてものは変わるものだし、時と場面によっても変わってしまう。

こんな不確かなものは、いつどうなるか分からない。

 

人の基準によって自分が幸か不幸かが変わってしまうなんて不安定にもほどがある。

これでは常に満たされ続けることなど永遠に叶わないし、悪いことが重なれば気持ちも転落してどん底を這うことだってあるだろう。

 

だから人を基準にせず、ただ自分のみが自分を満たす方法を探した方がいい。

自分が売ってる商品が好きで詳しく調べているうちにプロの知識を獲得し、それが武器となり顧客の悩みを解消し結果的に売ろうとしなくても売れたりする。

服が好きだという気持ちでオシャレをし続けていれば、それが個性となり異性の目に止まって結果的にモテようとしなくてもモテたりする。

 

こうやってまず人の基準に依らない願望を満たした末に、それを応用するとなんだかんだ人の役に立つことが出来てしまう。

本当に大事なことは、他人がどう思うかは関係なく、自分単独で満たせる願望をどうやって満たしていくのかってことなんだ。

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