バカにされるようなことを続ければ誰も真似できない生き方ができるよ

人からバカにされるとなんだか見下されたような気がしたり、軽く扱われてるんじゃないかと思ってモヤモヤしてしまうものだ。

バカだと思われるのがイヤで、なんとかバカに見えないように頑張ってしまうこと自体がバカらしい。

そんなものはただ人の言動に振り回されているだけで、何も自分のためにはならないんだよ。

 

きみが自然に振る舞ったり、夢中でやっている好きなことや、良いと思っていることをバカにされることがあるならそれはチャンスだ。

バカだと見下している人からすればそれは真似をしたくないってことで、見方を変えればバカにしてくるような相手は競合にはならないってことなんだよね。

理解できないからバカにされて、バカにされるからこそ同じ土俵で勝負することはないんだ。

 

何かを極めてその道のトップになるってことはすごく険しい道のりだ。

競合が多ければ多いほどトップの席を巡って熾烈な競争が繰り広げられるもので、そんな競合と競うためにはどこか人には真似できない部分が必要になる。

どこかで見たことあるようなものや、ありふれたものは埋れてしまって差別化を図ることができない。

 

どうせバカにされるなら突き抜けるところまで行ってしまえば、それが逆にきみにとっての武器であり価値になる。

そして、バカにされるようなことってなかなか人がやりたがらないことで、競うべき相手がほとんどいないフィールドで戦うことが出来る。

人と同じことが大好きな人間にはとうてい手に入らないようなアドバンテージを始めから持っていて、かなり恵まれた条件だってことに気づくだろう。

 

バカにされることを恐れておどおどして生きていれば、何となくそういった雰囲気は周りに伝わるもので、そのオーラがまたバカにされる原因だったりもする。

バカにされるという恵まれた条件を持っているんだっていう自信を持って、堂々と構えてみればなんだか得体の知れないオーラを見にまとうことが出来る。

冷静に考えればバカにできそうなものなんだけど、その堂々とした姿勢や自信に満ち溢れた様子で、なんだかすごいような気がしてくるものだ。

 

周りに合わせてバカにしているような人間は、大局を見て簡単に手の平を返しやすい。

今まで散々バカにしてきたようなことが、実はすごいことだと分かった途端に急に持ち上げ始めたりするものだ。

大多数がすごいと認めてしまえば、いくら今までバカにされていたようなことですらすごいことにだと賞賛されることに変わってしまう。

 

バカにされるようなことをやめたいなんて思わずに、続けられる限り振り切ればいい。

人からすごいと思われるレベルにまで昇華させてしまえば、それはもう誰にも真似できないほどきみだけの生き方になるんだから。

 

 

辛くなったらまたおいで。

それでは。

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