努力しようと思っていてもなかなかやる気が起きなかったり気力が続かなかったりすれば、自分はなんで努力ができないんだろう、と落ち込んでしまうことってある。
一体、自分と努力できる人の違いはなんなんだろうって人と比べて劣等感を感じてしまうよね。
でも努力できる人っていうのは何も特別な人なんかじゃないんだよ。
努力っていうのは人に強制されるものじゃなくて、自分が本当に目標とするところにたどり着くために行動できるかどうかっていうことだ。
誰かから努力が足りないとか、もっと努力しろとか、やる気が感じられない、なんて言われて頑張ることなんて努力なんかじゃない。
それはただ努力って言葉を使ってきみを都合よくコントロールしたい人たちの言い訳でしかないんだ。
だから他人から言われる努力なんてものは、本当の意味での努力じゃない。
そんな言葉に振り回されていては自分が能動的に行動を起こせるような、進んで努力したいと思えるようなものを見つけることはできないよ。
他人の言うことは気にしなくていい。
朝早く起きれないなら努力して早く起きれるようにしなさいとか、時間にルーズなのをきっちり守れるように努力するとか、痩せた方がいいんだから努力してみなよとか、こんなことは努力って言葉を使って他人を煽ってるだけだ。
本当にきみが朝早く起きれるようになりたいとか、時間に正確になりたいとか、痩せたいって気持ちがない限りは努力なんてできるわけがない。
努力には自分がやりたいと思う気持ちや、こうなりたいっていう理想の姿を追い求める気持ちが必要だ。
やらないよりはやった方がいいとか、やっておけば何かの足しになるだろうとか、その程度の気持ちでは努力する意味だって見出せない。
だってそんなものは、やらなくたって何も支障がないし、困ることなんてほとんどないんだから。
自分が進んで目標を立ててそれに向けて行動して、どんなに苦しくても手に入れたいものがあるならば努力をしよう。
そういうものに向かうためにしか努力するというパワーを使えないもんなんだから。
やりたいことが見つからない、自分が何をしたいのか分からないという段階だったら努力なんてしなくていい。
ただ自分の人生でこれがないなら死んでしまった方がマシだと思えるほど欲しいものが見つかった時には、それに向けて全力で努力をすればいいんだ。
やりたいことを見つけるために、自分の持てる力を振り絞って努力したっていい。
他人の言う努力というものに惑わされずに、自分がやりたいことや、なりたいもののために行動してみよう。
それに夢中になれれば努力なんて言葉を忘れてしまった頃に、他人からみれば努力していると思われるようなことをやっているものだから。
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