人と違うことをするとそれだけで目立ってしまい、あいつはなんなんだと批判のマトになってしまう。
批判されたり悪目立ちすることを恐れれば、みんなと同じように可もなく不可もなくひっそりと生きるようになる。
でもこれは自分を犠牲にして、他人を尊重してるだけでしかないんだ。
みんな同じが当たり前で少しでも違う人を叩き捻じ曲げて、追い出してしまう環境には変化ってものがない。
変わっていないことがいいことで、変わっていることが悪いことっていう思い込みのもと、自分を犠牲にしているストレスを変わり者にぶつけて発散しているんだ。
そしてそれが正しいことだと思ってみんなと同じように、変わり者を批判して自分は正義のような顔をしている。
それでも人は皆、それぞれ違う部分を持っていて、その生まれつきの違いまでみんなと同じようにできるわけじゃない。
想像上のみんなと同じっていうことに安心するかわりに、自分自身というものを失ってしまってる。
だから自分を大事にできなくて、苦しい思いや辛い思いをすることになっちゃうんだよ。
みんなと同じっていう平均値は単なる幻想でしかなくて、実際には存在していない。
それを神であるかのようにたたえて、平均値を求めないものは異教徒として弾圧する。
悲しいけれどそれが事実だ。
人と同じことをしたくないっていう気持ちは、消そうと思っても消せるようなものではなくて、それは誰にでも持っているものだ。
あの人みたいになりたいという憧れの気持ちと同じように、あの人みたいにはなりたくないっていう気持ちがあるのは当然のことで、それを否定して生きればどこかで無理が祟る。
だからまずは人と同じことをしたくないって気持ちは、あってもいいものだと思えばいいんだよ。
そして人と同じってことは、きみじゃなくても誰かが代わりになるってことだ。
そこにきみが存在する意味はなくて単なるパーツとしてそこに収まっているだけで、きみがいなくなれば代わりに誰かが収まって役目を果たす。
自分が自分である意味がないってことほど生きる意味を感じないことってあるだろうか?
きみがきみでなければいけない理由が欲しいなら、人と同じことをしたくないって気持ちを大事にしよう。
誰も代わりが務まらないような生き方をするために、人と同じことをするのを諦めればいい。
誰か真似をしていれば、その誰かを越えることはないんだ。
人と同じことをしたくないっていう生き方はそれなりに大変だろう。
誰を真似することなく、ただ自分自身と向き合って自分の頭で考えることが必要だから。
でもその苦労の分だけ自分にしか手に入れられないものが手に入るし、誰もきみと同じものは手に入れられないんだよ。
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