悩み事やなかなか解決しそうにない問題にぶち当たった時に難しく考えてしまっていないだろうか?
そういった難しい問題というのは、客観的に見れば取るに足らない小さなことだったりする。
他人からすれば、何をそんなに悩むことがあるのかと思うことなんてたくさんある。
難しく考えてしまっているのは世界の中でも当事者であるきみだけだったりもする。
実は簡単なことを難しく捉えてしまっているのは、それを難しいことだと思い込んでいるからに他ならない。
簡単に解決できる方法はいくらでもあるのに、それが見えていないんだ。
難しく考えてしまえば問題は深刻化してしまうが、シンプルかつ簡単に考えるようにすれば、解決方法だってシンプルなものになるだろう。
だから難しく考えなくてもいい。
問題を難しくしているのは自分自身
何か解決が難しいような問題が立ちはだかった時に、その問題を難しくしているのは自分自身だ。
問題は解決さえ出来れば、その解き方は本来なんだっていいはず。
それなのにこうであるべきという考え方を持って解決しようとするから難しくなってしまうんだ。
ゲームで言うところの縛りプレイのように自分に対して条件を課して、その条件を守った上で問題を解決しなければならないと思い込んでいるんだ。
その縛りプレイのような状況を望むんだったらその難しい解決法を選べばいいけれど、ただ単に問題の解決のみを目指しているのに縛りプレイをしてしまっていることに気づいていない。
もっと柔軟な考えで、問題の解決を優先した方法を探してみてはどうだろうか?
こうすべき、こうでなければならないという考え方を一旦捨ててしまわないと、難易度が高くクリア出来ないゲームに挑み続けることになる。
簡単に考えれば簡単になる
簡単に考えることが出来れば、問題も簡単なものに姿を変える。
難しい条件をいくつも付け足した上で問題を解決しなければならないと、自分のハードルを上げずに逆にハードルを下げてしまうことだ。
問題さえ解決できれば手段は問わないという姿勢で難易度を下げてしまおう。
モラルとか、マナーとか、人からの評判とか、そういうものを気にしながら自分の解決したい問題に取り組むことと、それを一切気にせずに問題に取り組むのではどちらが簡単だろうか?
一方は綱渡りしながらゴールを目指すのに対して、もう一方は何もない広場を走り回ってゴールを目指すようなものだ。
勝手な思い込みでこうしなければならない、という考えに縛られていてはこうやって問題を難しく、複雑にしていってしまう。
高すぎるハードルを長い時間かけてようやく一個飛べるよりも、ハードルを簡単に次々と飛び越えて行ける方が弾みも付くだろう。
このように簡単に考えれば簡単になるものなんだ。
深く考えなくてもなんとかなる
万が一や最悪の場合を考えていても、想定していた悪いことが起きなければ単なる取り越し苦労に終わってしまう。
仮に最悪の事態が起きたとしても、想定していた対策が役に立つなんていう保証はどこにもない。
どんな想像をしていても起きてみないことには分からないし、やってみなければ分からないんだ。
深く考えずにいたとしても、どうにもならなくなることなんて基本的にはない。
もうダメだと思うようなことだって、生きてさえいればなんとでもなってしまうんだから。
深く考えずに簡単だと思ってやってみることで道は開けるんだ。
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