好きなことが見つからない人が見落としていること

渦巻く液体

好きなことを自由にやりたいだけやっていいと言われても、一体自分が何を好きで何をしたいのか分からないことがある。

世の中には一生をかけてずっと同じことを追い続ける人もいるというのに、なんで好きなことが見つからないんだろうと悲しくなってしまう。

自分の好きなことをひたすら追求し続ける姿はとても輝いて見えて、その眩しさが余計に自分の中へ影を落とす。

 

好きなことが見つからない人はどうやって生きていけばいいんだろう?

ただなんとなく時間を消費して命をかけることもなく、かと言って自分の存在をおびやかされることもなく、ボーッと生きていくしかないんだろうか。

強い不安や恐怖を感じることはないけれど、ものすごく満たされた気持ちにもなれないような、のっぺりとした人生を送るだけになってしまうという危機感だけはある。

 

好きなことが見つからないと悩んでいる時は、自分でも気づかないうちに足が止まっているものだ。

本来、好きという気持ちは理屈でどうこう語れるものじゃなくて、感情として溢れ出るもの。

 

ちょっと好きになれそうなものを見つけるたびに、そのスペックを見比べてしまっていないだろうか?

これをやったところで金にはならないとか、ただの暇つぶしに過ぎないとか、社会的に認められないとか。

知らないうちにそういった論理的な部分で好きかどうかを決めてしまっているんだ。

 

ちょっとスペックが悪いからって芽生えかけてた好きな気持ちを消してしまって、まだきっと自分が好きなことがどこかにあるはずだなんて、探し回っても見つかるわけがない。

好きかどうかを論理的に考えているうちは、自分の好きという感情に気づくことは出来ないんだからね。

 

結婚相手を選ぶためにスペックばかり気にして、肝心の好きという気持ちや一緒にいたいという気持ちを置き去りにしているのと同じようなことだ。

収入が高い、顔がいい、社会的地位が高い、年齢が若い、条件をつけて完璧を求めれば天井はどこまでも高くなっていく。

大事なのは自分の中の気持ちを感じることなのに。

 

好きなことが見つからない人は論理的に考えすぎてしまっているから、好きなことに対するハードルが上がってしまう。

長く続かなくてもいいし、思い違いだったとしてもいい、きっと瞬間的に好きだと感じることはたくさんあるはずだ。

一瞬でも好きだと感じられるようなものを手当たり次第に求めていれば、そのうちにいくらやっても好きな気持ちがなくならないようなものを見つけることができるんだよ。

 

好きなことが見つからないのは、好きだという気持ちを見失ってしまっているからなんだ。

まずはちゃんと感じてみよう。

好きな気持ちを感じれば、胸は高鳴ってひと時も離れたくないと思うし、毎日やってても飽きることなく、四六時中そのことばかり考えてしまうものだからさ。

 

 

辛くなったらまたおいで。

それでは。

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