自分の当たり前の中で生きたっていい

そんなことは当たり前だと誰かに言われてビクッとしてしまっていないだろうか?

この当たり前って言葉はすごい厄介で、物事を効率化するにはすごい良い面もあるんだけど、それ以上にマイナス面も大きい。

当たり前だと思って考えることをやめてしまえば、成長が止まり変化することができなくなってしまう。

 

ただね、これだけは一つ言えるのが、誰かの当たり前はきみにとっての当たり前じゃないってこと。

閉ざされた環境の中にずっといて当たり前だと思って過ごしてたとしても、一度外の世界を見てみればそんなことはなかったんだと気づかされる。

言ってしまえば当たり前なことなんて、どんなことでも所詮ローカルルールでしかないんだよ。

 

世界は広いし、人間はたくさんいるし、国や文化も無数にある。

そんな地球規模で考えてみても全人類で共通する当たり前のことなんて、せいぜいみんな人間だしみんな生きてるんだよねってことくらいだ。

下手すれば差別が根強いところなんかは、同じ人間としてみなしていないところだってあるくらいだ。

 

信じがたいけれどそれくらいみんなにとっての当たり前なことなんて存在してないし、本当に単なるローカルルールでしかない。

だから当たり前を振りかざされたところでひるむことはない。

当たり前という言葉を使って批判や攻撃してくる相手というのは、結局は自分の言うことを聞いてくれよって言うだけの話なんだ。

 

周りと違うなんておかしいだとか、ありえないだとかって言葉たくみにきみを都合のいいように従わせたいだけ。

きみがとても親切で慈愛に満ちた人間なら好きなだけ付き合ってあげればいい。

でもそうじゃなくてイヤな思いをしたり、本当に心の底から従ってるわけじゃないならやめておきなよ。

 

人に付き合っているばかりの人生じゃ自分のやりたいことやる時間なんて作れないよ。

まず大事なのは自分を満たしてあげることでさ、それで余裕があって付き合ってあげてもいいなって思うようなら相手すればいいんだから。

自分を差し置いてまで、他人の振りかざす当たり前っていうローカルルールの中で生きなくたっていいじゃん。

 

他人に当たり前があるように、きみの中にだってきみなりに当たり前って思うことがあるはずだ。

それを侵害されることなく自分の思った通りに生きればいいんだよ。

自分を差し置いて他人を優先させるのは自分を裏切っているのと同じことで、それがクセになってしまえば自分のことを信じらなくなっちゃうよ。

 

いくら人から変わってるって言われようが、常識を知らないとか言われたって気にすることはない。

きみはきみの当たり前っていうローカルルールの中で生きていいんだから。

 

 

辛くなったらまたおいで。

それでは。

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