生きていれば嫌なことや、納得のいかないこと、受け入れられないことってたくさんある。
生活のために仕方なく従ってしまっていたり、断る勇気が持てなかったり、嫌われてしまうんじゃないかと不安になってしまったりして、無理に自分を曲げてしまう。
そして本当はやりたくないような嫌なことをやり続けていると、自分の思いと行動がどんどん離れていってしまう。
思っていることとやっていることが違ってしまえば、本当に自分のやりたいことが何なのかということすら見えなくなってしまう。
そうやって目的を見失い、ただ生きるために生きていることが目的になってしまえば有意義な人生も送れない。
でも心配することはない。
きみはただ自分自身を見失っているだけで、目を覚ます方法はあるんだ。
そのためにはまず、無理に自分を曲げるのをやめることから始めてみよう。
そうすればきみが何を望んでいるのかがはっきりとしてくる。
だから嫌なことはやらないでいい。
嫌なことをして生きてる人は道連れを求めてる
やりたくもないような嫌なことをして生きてる人は世の中にたくさんいる。
そんな人たちは自分の嫌な思いを発散するために、また違う誰かをはけ口にして生きている。
みんな嫌なことから逃げる強さを持っていないから、嫌な思いを他人に押し付けて自分を守っているんだ。
本当に相手を思いやるならば、同じような思いはさせないようにと振る舞うだろう。
でも現実はそうじゃない。
自分が嫌な思いをしているんだからみんなも同じように嫌な思いをしたっていいだろうと、道連れを作るかのように足を引っ張りあっている。
そういった弱い人たちを責めたところで何も変わらない。
きみが出来ることは足の引っ張りあいから抜け出すことしかないんだから。
嫌なことをしなくても生きていける
嫌なことでもやらなくては生きていけないというのは思い込みにすぎない。
実際、人間は今までやらなくてもいいようなことを技術によってカバーしてきた。
手作業で同じものをいくつも作っていた時代は終わって、いまは機械が正確に早く大量に同じものを作ることが出来るようになっている。
誰かがやらなければという使命感も時には重要なことだけれど、誰もやりたがらないからこそこういった技術の進歩が生まれているのも確かだ。
たとえ一時的にやりたいという人が足りなくなって困るようなことがあったとしても、嫌なことをやらずに済むために使うエネルギーに振り向けなければ進歩は訪れることはない。
嫌なことはやらずに生きていけるし、それによって発生する困りごとは別の解決手段を見つけるために必要なことなんだ。
思い込みを解かなければきみ以外の誰かが嫌なことをやらずに済むようにしてくれるまで、指をくわえてただひたすらに待つだけの人生を送ることになるだろう。
少しの勇気があればいい
嫌なことをやらずに生きるために必要なのは、ほんの少しの勇気があれば十分だ。
人が突然ガラッと変わってしまうことはほとんどない。
小さな変化を積み重ねて行くことでしか、大きな変化には繋がっていかないんだ。
これくらいならやらなくてもいいんじゃないか?こう思うことがあれば試しにやらないと決めてみよう。
実際に行動に移せばそこからまた分かることが色々とあるはずだ。
思った以上に影響が無いのか、最悪の事態になるかはやってみないと分からない。
ただそれは全てやってみることでしか何も分からないんだ。
難しく考えずに少しだけ勇気を振り絞って、嫌なことをやらずに過ごしてみればいい。
そうすればきっと何か見えてくるものがあるだろう。
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