効率的に生きようとすると、今やっていることの中から無駄なものはないか?意味のないことはないか?必要ないものはないか?と探すことになる。
確かに効率を求めると、やらなくていいことはたくさんあるだろう。
でも近道ばかり探していたってうまくいかないのが人生だ。
時間は限られている、けれど時間ばかり気にしていては時間に縛られることになる。
無駄を削ろうとするあまり、大事なことまで捨ててしまうこともある。
理想を求めすぎて、現実を感じることが出来なくなってしまうことだってある。
たまには遠回りだと思えるようなことをしたっていいんだよ。
そういう遠回りだと思っていたものが意外と近道だったりするんだから。
やってみなけりゃ分からないんだから、どうせ意味がないとか、だって無駄なんだし、って言い訳してないでやってみればいい。
意味がないことなんてないんだから。
意味のないことはない
この世には意味がないことなんてものはない。
良いことであれ、悪いことであれ、全てのことには誰かにとっての意味のある出来事なんだ。
何かを変えようと必死にもがいてみて、結果的に上手くいかなかったとしても意味のないことではない。
きみが必死にもがいている姿を見て、感銘を受けて誰かにとっての生きる道しるべになることだってある。
うっかり何かを落として壊してしまったとしても、壊れたものを片付けるために掃除をすれば床は綺麗になる。
そういう時って掃除をサボっていて床が汚かったりするものだ。
風に吹かれた葉にだって何かを感じる人がいて、意味のない出来事なんかではない。
そうやって意味のないような出来事の中には、何かしらの意味が隠れているものなんだ。
意味を見出すのは自分の力
パッと見で意味のないような出来事に、意味を見出すのは自分の力にかかっている。
ニュートンだって木から落ちるリンゴを眺めていて引力を発見したと言われている。
木からリンゴが落ちることに意味を見出せたからこそ、彼は有名になった。
そうやって身の回りにある何気ない出来事に意味があると感じられるかどうかは、きみの感じる力に左右される。
ボーッとしていたら見逃してしまうような、どんな小さな出来事にだって意味を見出せばそれは大きな価値を持つ。
きみは発見やひらめき、気づき、呼び方はなんでも構わないけれど、日常からいかに何かを感じとることが出来るか?
そのためには色んなことにアンテナを立てて、その意味を探るために考えることだ。
習慣的にやっていないことは突然できるようになんてならない。
きみはその出来事にどんな意味を見つけるだろうか。
やってみることに意味がある
無駄だったり、必要なかったり、意味がなかったり、非効率的だと思うようなことを毛嫌いせずにやってみたらどうだろう?
たとえ本当に無駄だったとしても経験がなければ深く語ることはできない。
やってみたからこそ、それが無駄だと断言できるようになるんだ。
食べたことのない果物の味は人には伝えられないだろう。
見たことのない動物を描くことは出来ないだろう。
嗅いだことのない匂いを思い出すことなんて出来ないだろう。
経験しなければ分からない。
世界にはまだまだきみが知らないことが山ほどあるはずだ。
頭で知っていることではなく、きみが感じたことがないもの。
そういうものなら意味がないなんて言っていないで、どんどん経験してみればいいんだ。
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