思ったように生きることが出来ないと、上手く生きたいと願うことってあるだろう。
そんな時ってとても苦しいし、辛い。
満たされない気持ちはあっても、それをどうやって解消していいのか見当もつかなくて、どうすればいいのかと途方に暮れてしまう。
だけど、果てして人生に上手いも下手もあるんだろうか?
一体何が上手く生きることで、何が下手な生き方なのかを線引き出来ているだろうか?
こうやって上手い下手で人生の価値を判断してしまうのは、その根底に憧れの誰かのようになりたいと思う気持ちがあるもの。
あの人のように生きてみたいという気持ちで生きると、それを再現できれば上手く生きていることになるし、再現できなければ上手く生きられないと落ち込むことになる。
確かに憧れのあの人って言うのは、生きてきた中で尊敬に値するほどの人物であることには違いない。
たくさんの人と出会って生きてきたとしても、なかなか生き方までを真似したいほどの人と出会うことは稀だからね。
でも憧れのあの人の生き方って、きみが見えてる範囲でしかなくて、むしろきみが見えていない背景のようなものの方がよっぽど広いものだ。
どこでどうやって生まれ育ち、どのような道を辿って生きてきたのかという情報自体は手に入るかもしれない。
しかし、それを体験することや再現することなんてのは不可能で、実際に感じられることは客観でしかない。
たとえ憧れのあの人の生き方を真似しようとしたって、生まれも育ちも通ってきた道すらも違うんだから、それは出来なくて当然のことなんだ。
憧れが強ければ強いほど真似したい気持ちは高まって、求める気持ちに反してその通りに生きられることもなければ、ずっと満たされることもないだろう。
誰かの真似をして生きるなんて叶わないことで、そんなことを追い求めて生きているから上手く生きられないと感じてしまうことになるんだ。
あの人はあの人の生き方があって、きみにはきみの生き方がある。
真似をしようとしたところで、完璧に重なるほど似せるのは不可能だってことを理解しておいた方がいい。
こうして誰かの真似をしようとするのをやめてみれば、自分がどうしたいのかを自分で探して、自分で好きなように決めていくことになる。
自分が何をして、何をしたくないのかというのを自分で判断して決めていくためには、しっかりと軸を持っていることが必要だ。
そのためには日頃から自分ならどうするかを考えておくことで、色んな状況に置かれた時にもすぐに自分の考えで行動できるようになるものだ。
まずは自分と向き合って、何を望んで何を捨てるのかという判断基準を養っていけば、満たされた人生を送ることが出来るだろう。
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