長く生きれば生きるほど初めての体験というのは少なくなってくる。
何も考えずにぼーっと生きていると外部の環境が変わるような出来事がなければ、なおさら初めての体験をすることが少なくなるだろう。
小さい頃は嫌でも数年おきに学校という環境が変わり、社会に出れば転勤や転職など、環境が変わるタイミングがある。
しかしこれらも慣れてしまえば、多少違っていても似たようなことの繰り返しになってしまう。
こうやって周りの要因で流されるようにしか初めての体験をしてこないと、日々が単調になりやすく記憶にも残らないような出来事で埋め尽くされていく。
年を重ねるごとに時間の流れる感覚が早くなっていくのは、同じような日々を繰り返して記憶に残らないような出来事に埋れてしまうからだ。
そして後で振り返ってみると、あっという間に日々が過ぎているように錯覚してしまう。
何もやりたいことをやらないまま、気づけば年老いて体力や健康を失って、過去の自分を恨みながら一生を終えるなんてつまらない。
そのためには同じことの繰り返して記憶に残らないような日々を終わりにしよう。
だから新しいことに挑戦すればいい。
新しいことに挑戦することで変化のスピードを上げる
生きていれば否応無しに環境の変化に晒されて、初めて体験することに直面し、そこで変化のきっかけは得られる。
しかしこれは自分で引き起こした変化ではなく、あくまでも外部の環境に強制された変化だ。
この外部環境の変化はスピードがとても遅くて、年単位の時間を要する。
人生が100年だとして、変化のきっかけが得られるのは人生のうちでも数えるほどしかないということになる。
変化が遅いものはより変化が早いものに淘汰されて衰退するのは目に見えている。
若者が老人より世の中に適応しやすいのは、若者の変化が早いからだ。
由緒ある大企業が新興企業に追い抜かされてしまうのも、変化が早いか遅いかの違いだ。
動物も進化の過程でより早く環境に適応できるように変化できたものが生き残り、変化が遅かったものが滅んでいった。
外部環境の変化に頼ったスピードの遅い変化に任せていれば、いずれ適応できなくなり淘汰されてしまう。
そこで、いかに新しいことに挑戦し自ら変化するスピードを上げて生きていけるかということが大事になってくる。
能動的に新しいことに挑戦すれば、そのぶん初めての体験に出会うことが出来る。
初めての体験に埋め尽くされた日々を過ごせば記憶に残りやすい出来事が増えて、時間の感覚が長く感じられることになる。
時間の中身をコントロールする
時間の流れは誰に対しても平等だ。
どんな場所にいても、どんな時代に生きたとしても1秒は1秒で、時と場合によって変わることはない。
ただし、どのような時間を過ごすかという中身は自分でコントロールできる。
変化の少ない密度の低い時間を過ごすのも、変化に富んだ密度の濃い時間を過ごすのも全て自分次第ということなんだ。
与えられた同じ時間でどれだけ新しいことに挑戦して、より変化に富んだ生活を送り、長く充実した人生を生きれるかを考えてみよう。
世界にはきみが体験したことのないことなんて星の数ほどある。
そしてそれを全てやりきるには人生は短い。
その中でどれだけやりたいことをやって生きていけるか、今まで真剣に考えたことがなかったのなら、これを機会に向き合ってみて欲しい。
やりたくないことなんてやってる暇はないんだ。
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