解釈ってものがあるから人と分かり合うのは本質的に不可能なんだよね

人と人がなぜすれ違ってしまうのか?なぜ分かり合えないんだろうか?っていうのは不老不死と同じくらい人間にとって永遠の課題だろう。

お互いを理解し合うためにはコミュニケーションが必要なのと同時に、そのコミュニケーションこそがお互いのすれ違いや、理解し合えない原因だったりするから難しい。

 

分かり合えないもの同士がコミュニケーションを取ることを諦めて、そういう人間もいるんだと割り切ってしまえば争いも起こらないはずなのに、それでもなおコミュニケーションを取ろうとしてぶつかり合う。

考えていることや思うところが同じような人間同士でも、こういったすれ違いは平然と起こってしまう。

 

使う言語が違ってしまえば人と分かり合うためのハードルがかなり高くなってしまう。

それでも同じ言語だからと言って分かり合えるわけではないのは、言葉のパーツである単語ひとつ取ってみても人によって解釈が違うからなんだろうな。

 

幸せという単語でも聞く人によって何を想像するのかは全く違っていて、好きな人と過ごす時間のことを幸せと思う人もいれば、好きな物を食べることが幸せだと思う人もいる。

それと同時に誰かと一緒にいること自体を不幸せだと思う人もいるし、食べ物を食べることに苦痛を感じる人は食事は不幸なことでしかない。

同じ単語を使ったとしてもそれだけ受け止め方が違ってしまい、そこからしてすでに同じ前提で話が出来ないんだ。

 

前提がズレたもの同士が同じ単語使ってコミュニケーションを取ったところで、そんなものは上手くいくはずがない。

前提が違うということにすら気づかずに、お互いがお互いに「あいつは話が通じない奴だ」と思ってすれ違ってしまう。

これを解消するためにはまずお互いの前提を確認し合わないことには、話が通じ合わないんだ。

 

だけど単語の解釈という前提をお互いが理解し合うためには、きっとその生い立ちから、自分の経験したことから感じたこと、そういったもお互いの記憶を共有し合う必要がある。

会話の中で飛び交う単語でこれを全て行うなんて、とてもじゃないけれど時間が足りない。

現実的には、お互いの単語の解釈という前提を共有しあって、さらにその単語を使ってコミュニケーションを図りお互いを理解し合うってことは難しいことだよね。

 

将来的に人間の脳から記憶や感覚をデータとして取り出せるようになって、そのデータをお互いがシェアし合えるようになれば、本当の意味で人間はお互いに分かり合うことが出来るんだろう。

でもそうなった時には、果たして自分という個は存在すると言えるんだろうか?って考え出せばキリがない。

ひとまずのところは、人は誰とも分かり合えないという前提で生きた方がストレスも少なく生きていけるんじゃないかなと思う。

 

 

辛くなったらまたおいで。

それでは。

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