飽き性がつらい理由は行動が足りていないからだよ

何を始めても長続きすることなく、すぐに飽きてしまって放り出してしまうと自分はなんて飽き性な性格なんだろうと感じてしまうかもしれない。

だけどすぐに飽きてしまうこと、それ自体が悪いことっていうわけじゃない。

飽き性であることは単なる性格のタイプなだけであって、それを自分にとってメリットをもたらす使い方をできるかどうかの方がよっぽど重要なことだ。

 

飽きてしまい何事も続けられることができないことをつらいと感じてしまうのは、飽き性の有効な使い方が分からないだけなんだ。

何事にもメリットデメリットがあるもので、それにピッタリ合うような条件を満たしてあげることが大きなデメリットを大きなメリットに変えることにつながる。

飽き性であることをポジティブに捉えられるようになれば、きみも飽き性であることを誇りに思いながら生きていけるだろう。

 

飽き性というのは興味の対象が広い。

長続きせずに次々と飽きてしまうほどのネタを持っているからこそ、数多くのものに飽きることができる。

飽き性でなければ興味を持つような対象も少ないし、次から次へと色んなことをやろうという発想にならない。

 

これは飽き性にとっての大きな長所だろう。

何に興味を持つのかなんていうのは感情が絡むことで、意図的に操作して興味を持つことなんてなかなかできることじゃない。

飽き性であれば何も意識せずに自然と多くのことに興味がいってしまう。

 

だからこそ他に目移りしていまいちハマりきらないうちに、次へ次へと違うことをやり始めることができるんだ。

人生の時間は限られていて、世の中にはたくさんのことが溢れている。

そんな中で幼いうちに自分の生きる道はこれだと定められる人はそれほど多くない。

 

飽き性ならばそんなことも問題にならない。

いくらでも数を打てるから試行回数が増えて、自分にはこれしかないというものを見つける確率だって高くなる。

腰を据えて何年もハマりもしないものを飽きずに出来てしまったと思うと恐ろしくならないかな?

 

これでもいいかと思って続ける能力だけ高くなってしまえば、人生の大半をいまいちな生き方で過ごすことになってしまう。

危なげはないけれど面白くもなんともない、つまらない人生の出来上がりだ。

 

飽き性というのは、自分にハマらないことを即座に捨てることができる天才のようなものだ。

簡単に捨てることができるからこそ、新しいものに興味を持って、どんどん自分の壁を破っていくことができるんだ。

そして人間は興味のあることから目を背けることが苦手な生き物だ。

 

興味を抱けば、やってみたいものだし、見てみたいものだし、感じてみたいものなんだ。

だからこそ行動力が生まれて興味を抱いたものに近づこうとする。

飽き性であることによって行動力が格段に高くなるのは、当然の結果だ。

 

環境の変化に応じて素早く行動に移して、自分自身を進化させていけばどんな環境にだって対応できてしまう。

環境の変化に強いってことは、自然界で言えばもうそれだけで強者なんだ。

だから飽き性であることに自信を持っていいんだよ。

 

 

辛くなったらまたおいで。

それでは。

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