人生を勝ち負けで考えて誰かの基準で生きてない?

やれ勝ち組だ、負け組だ、と世の中にはやたら勝敗でものを語るフシがある。

勝負ごとは勝ち続ければこれほど面白いものはないというくらい快感をもたらすけれど、勝者の裏には敗者がいて、負け続ける人がいるということは避けられない。

そして当然のことながら、負け続けているのは面白くない。

 

さらに一時的に勝者になったとしても負けを知らずに勝ち続けることはなく、いつかは敗者に転落してしまうことも避けられない。

そして勝者の蜜を味わってしまえば敗者の苦しみはより苦さを増して、挫折を味わうことにもなる。

 

このように勝ち負けという枠組みの中で物を考えると、勝ち組であれ負け組であれどんな人間も幸せな状態とは言えない。

勝ち負けを考え始めたところから既に不幸が始まってしまっているんだ。

 

それならば方法は一つで、勝負をしなければいいということになる。

勝負さえしなければ勝者も敗者もいなくなってしまう。

そうすれば敗者に転落することに怯えたり、このまま負け続けるかもしれないと恐れる必要はなくなるんだ。

 

悩みや苦しみを生むのは負けることに対する恐怖であり、敗者の存在をなくすためには同時に勝者の存在もなくす必要がある。

そうなるとやっぱり生きていく上で、勝負をしないということが心安らかに生きていける秘訣と言える。

 

勝負は同じ条件下での比較で発生する。

例えば、身長という基準での高いか低いかとか、同じルールの元で得点が多いか少ないかとか、お金を持っている量が多いか少ないかなど、前提の条件が変わっても比較をしたら勝負は発生する。

 

そしてその条件になるようなものは世の中にいくらでも溢れている。

多少何かが勝ったところで、見方を変えればあっという間に負けて埋め尽くされて絶望してしまうだろう。

 

同じ条件での比較が勝負を引き起こすのだとしたら、勝負をしないためには同じ条件で比較をしないことが欠かせなくなる。

身長で言えば、高い方が優れているという基準を持つから身長の高低で優劣がつく。

スポーツで言えば、得点が多い方が勝ちという基準を持つから得点で勝敗が決まる。

お金で言えば、持ってるほど良いという基準を持つから貧富が決まる。

 

しかし基準となる条件が同じところで比較しなければこうはならない。

あくまでもただ比較して身長の高い人と低い人、得点が多いチームと少ないチーム、お金をたくさん持っている人とあんまり持っていない人というただの特徴として捉えられるようになる。

 

どちらが良いとか悪いとかそういうことではなく、単なる特徴や個性として捉えてしまえば勝負は発生しない。

そして、そういう無数の特徴や個性が集合して一人一人を形作っているんだ。

 

全く同じ人間は一人としていないんだから同じ条件下で比較したってしょうがない。

だから大切なのはいかに特徴や個性の違いを受け入れ合えるかだ。

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