己を知ればいい

自分のことは自分が一番よく分かっていると思うのも無理はない。

今まで生きてきたその全てを知っているのは、他でもないきみだけなんだから。

それでも自分の中には、自分は知らないけれど他人は知っている自分や、自分も他人も知らない自分というものが眠っている。

 

いかに自分の知らない自分を見つけ出せるかで、自分の人生は決まってしまう。

そんなことは出来るわけがないと自ら可能性を閉ざしてしまえば、本当にそれが叶うことはなく狭い範囲で小さく生きることになる。

逆に、出来るかどうか分からないんだから試しにやってみようと思える人間は、強くたくましく生きていくことができる。

 

己を知ることで自分には一体何が出来て、何が出来ないのかがはっきりする。

それがはっきりと分かれば、どうやって生きていけばいいのかということも理解することができるんだ。

常に自分と向き合いながら生きていくことで、自分自身という心強い相棒を味方につけて力強く前に進んでいける。

 

己を知るためには自分に限界を定めないことだ。

本当に限界なのかどうかはやってみなければ分からないことで、意外と限界を感じていたところを突破してみればそこが限界ではなかったことに気づかされる。

もちろんやりたくもないようなことや、嫌いなものを無理に我慢することはない。

 

自分がこれだと思う好きなことに関して、限界を越えたその先の景色を見れるように食らいついてみれば己を知ることができるんだ。

自分がそこまでの人間なのか、それともまだまだその程度で終わらない人間なのかは限界を越えようとしない限りはっきりとしないものだからね。

型にはまってほっとしていたら、そこで成長は止まってしまうんだ。

 

そして、自分が望んでいたと思っていたものですらも手に入れてみたら、本当に欲しかったものではなかったと知ることになる。

それすらも手に入れてみないことには何も分からないんだ。

とにかく手を伸ばして欲しいものを手に入れてみればそれが望んでいたものなのか、そうではなかったのかがはっきりするよ。

これもまた己を知ることに繋がっているんだ。

 

結局、自分を受け入れられなくて苦しい思いをするのは、自分で自分が何者なのかということが分からないから。

そして分からないことを分からないままにしてしまえば、どこに行っても何をしてても辛いままなんだ。

我慢をして限界を定めて生きるのはやめてしまおう。

 

そうやって飛び出して行った先に自分を見つけるためのヒントがたくさん転がっているんだ。

たくさん挑戦をして、たくさん傷ついて、そうやって身の程を知ることが己を知って、自分とは何者なのかということを知るためには必要なことなんだ。

 

 

辛くなったらまたおいで。

それでは。

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