考えても分からない時はやってみれば分かる

どんなに頭を働かせて考えたっていい方法が見つからない時がある。

そんな時には、まだ何か別の方法があるんじゃないか?知らない情報があるんじゃないか?ってさらに考えようとしてしまうものだ。

 

もちろん思考停止してしまって考えることをやめてしまうことが流されて生きることに繋がってしまうのは確かなんだけど、いくら考えても分からないものは分からない。

まだ起きてもいない知らないことに想像を巡らせて入念にシミュレーションしたところで、実際には結果が大きくずれることがほとんどだろう。

 

いくら丹念に下調べをして情報を集めて、それを元に完璧な計画を作って何かを始めても、計画通りにことが運ぶのは難しい。

やっているうちに必ず想定外の何かが飛び込んできて、計画を狂わせていってしまう。

 

自分では調べられることは全て調べてみたつもりでも実はまだまだ眠っている情報があったり、完璧に計画を作ったつもりでも何かの影響を受けることを計算に入れていなかったり、とにかく完全に思った通りに何かを進めることって誰にも出来ないものだ。

だからもう最終的には、やってみて出てきた結果で判断して修正していくしかないんだよ。

 

考えて分かることよりも、やってみて分かることの方がたくさんある。

山のふもとから山頂を見ようとしたって細かいところなんて見えないけれど、実際に山頂まで行ってしまえばいくらだって細かいところを見ることが出来る。

やる前にアレコレ考えてしまってやらないでいることは、山のふもとにいたままなんとか山頂を見たいと視力が良くなる方法を探していたり、遠くまでよく見える望遠鏡を作ろうとしているようなものだ。

 

こんなことをしていたってきみのやりたい事は叶わない。

なぜなら本当は山頂を見たいはずだったのに、視力がとても良い人を目指してしまったり、望遠鏡を作る人になろうとしてしまっているからだ。

本来の目的を忘れて、そのための手段の方に一生懸命になってしまうなんてことはよくあることだ。

 

このようにならないためには、自分にとっての山頂はどこにあるのかということを忘れてはいけない。

そして山頂を見るには登ってしまえば解決するんだから、まずは登ってみること。

その道中に待ち受ける危険を考えすぎずに、少しでも足を進めてみれば進んだぶんだけ分かることがある。

 

山頂を目指そうとしても、一気に登れてしまうほど低い山ばかりではない。

燃えるような情熱を持って気持ちで前に進むのも悪くはない、だけど山が高ければ高いほど、山頂はそれだけ遠くなる。

気持ちばかり先走って山頂を目指してもその山の高さに屈してしまうだろう。

 

高い山にはそれに合った攻略法があるもので、少し登っては引き返し、策を練ってはまた登る。

そうやって少しずつ前に進んで行った末に、ようやく山頂にたどり着くんだ。

 

そして進んだぶんだけ分かることがあれば、それだけ考える材料も増えてくる。

たとえ小さな前進でもそこから見える景色は、進む前とは違って見えるはずだ。

そうやって一歩ずつでも前に進むことを繰り返すことで、どんなに高い山の山頂だっていつかはたどり着けるんだから。

 

 

辛くなったらまたおいで。

それでは。

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