良いか悪いかじゃなくて好きか嫌いかで判断すればいい

生きていれば何をするにも選択を迫られることがあって、その時々で自分が考えたものを選ぶ必要がある。

そうやって過去のきみは選択を繰り返してきたからこそ今ここにいる。

無数にある選択肢の中から何かを選ぶためには自分なりの基準がないと、その選択肢の多さに圧倒されて自分で選ぶことを放棄してしまう。

 

だけど誰かが選んだものを押し付けられて、それに従って生きていくことが自分の人生を歩むことではない。

着せ替え人形のように自分の意志を持たないで、勝手に選ばれた服を抵抗もせず着ているようでは、文字通り人形と変わらないんだ。

自分の意志で判断し、選択して生きることが堂々と自分らしく生きる方法だ。

 

それでも判断の基準もまた、選択肢と同じように数えきれないほどある。

生まれた時代や場所、文化や習慣が違えば何を良しとして、何を悪いと捉えるかなんてことも変わるものだ。

だからこそ正解なんてものはなくて、人はその選択に迷ってしまう。

 

このように良いか悪いかで判断するということは、周りの環境によっていくらでも左右されてしまうんだ。

同じ判断を下したとしても時と場所と状況が変われば、良いのか悪いのかということだって変わってしまう。

そして、その周囲の環境はきみが全てコントロール出来るほど小さくはない。

 

そんな自分ではどうにもならないことに委ねて自分の人生を決めてしまえば、もちろん思い通りになることはないだろう。

思い通りにいく事が少なくなれば自分が何をしたって無駄なんだと、無力感に苛まれてしまうことにもなってしまう。

無力感に支配されてしまえば自分が生きている意味だって感じることはできないし、究極的には生きていたって仕方ないとすら思えてくる。

 

そうならないためにも、物事の判断を下す時には必ずしも良いか悪いかで語らないでもいいということを忘れないでおこう。

良いか悪いかで判断してしまうのは正解がない上に、その正解すら状況によって変わってしまうんだから、良いか悪いかで判断するのをやめてしまおう。

 

きみが自分にとって絶対的な判断基準は、好きか嫌いかということだ。

好きなものや嫌いなものは、こんなところが好きとか、こういうところが嫌いと表面的には理由があったとしても、それをたどっていけば結局なんとなくでしかない。

なんで好きなのか?なんで嫌いなのか?理由なんてないんだ。

最終的には、自分がただそう思ったからという以上に説明できることなどない。

 

それだけ自分にとって好きか嫌いかというのは、自分の中において絶対的で揺るぎないもの。

理屈じゃ説明できないものは、もうそういうものだと受け入れるしかないんだからね。

そんな自分の中の絶対的な基準で判断を下せば、少なくとも自分にとってはこれ以上ない結果に持っていく事が出来るだろう。

 

自分のために生きるためには、まず自分の感覚である好きか嫌いかを大事にすればいい。

そうやって直感に従って生きることで、自分を満たして豊かに生きていけるんだよ。

 

 

辛くなったらまたおいで。

それでは。

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