誰とも分かり合えないことは何もおかしいことじゃないよ

自分のことを深く理解して欲しいとか誰かのことを分かってあげたいって思うことは自然な気持ちだろう。

だからこそ自分が理解されていないと感じる時や、理解できないようなことをする相手がいる時には心がざわついてなんだかもやもやしてしまう。

誰も自分のことを分かってくれないんだと思えば、深い孤独を感じて切なくなってしまうよね。

 

でも人は誰かのことを本当に理解して受け入れることなんて出来ない。

だってきみから見える世界と他の誰かから見える世界は全く違うもので、物の捉え方にしても、言葉の使い方にしても、感覚からしてまるで違うんだから。

人によって全然違う感覚を理解しようとするけれど、それがなかなか出来ることじゃないから苦しくなっちゃうんだよ。

 

どんなに仲のいい友達だって、長く一緒に過ごしてきた家族だって同じ感覚を持って、完全に分かりあうなんてことは出来ない。

どこまでいっても自分以外の人間は他人であって、きみではないんだ。

誰かと分かり合うことを追い求めていれば、満たされない気持ちを抱えたままずっと生きていくことになってしまうよ。

 

誰かと分かり合うことを諦めることで、自分と他人との違いを認めることが出来るようになる。

どんなところで生まれて、どんな風に育ってきて、どんな経験をしてきたのかっていう自分との違いを知ればいいんだ。

そうすれば自分と他人との間にしっかり線を引くことができるようになる。

 

なんであの人は自分のことを分かってくれないんだろうとか、ちゃんと伝えたはずなのに理解してくれないとか、なんでそんなことをするのかよく分からないってことは、お互いの今まで歩んできた道を知ることで解消できる。

人はそれぞれ自分なりの理屈を持って行動しているものだから、なぜその考えに至ったのかという原点が分かれば、少しでも相手を理解するヒントにはなるよね。

 

ただ人生の時間は限られていて、出会う人すべての生い立ちや今までどうやって生きてきたかを知ることは難しい。

それに考え方なんてものは生きていれば日々変わっていくもので、理解し合えたと思った相手のことが分からなくなることだってたくさんある。

それなら少しの間だけでも、お互いを理解し合えたと感じられることに喜びを見出した方がいいよ。

 

どんなに自分を理解してもらおうとか、誰かを理解しようとか思っても時の流れで状況は簡単に変わってしまうんだ。

それならはじめから誰とも分かり合えないことを嘆くんじゃなくて、たまたま分かり合えた瞬間を大切に思えばいいんだよ。

そうすれば苦しいまま生きていくことなく、いい経験が出来たなって前向きに捉えることが出来るんだから。

 

 

辛くなったらまたおいで。

それでは。

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