自分の欠点を受け入れるためには持ってる価値観を捨ててしまおう

自分で自分自身のことをイヤになってしまうような欠点と言える部分があるだろう。

そんな欠点は、今まで生きてきて何度もイヤな思いをしたはずなのに、なかなか直そうと思っても直らないはずだ。

それもそのはずで自分の欠点というのは、自分の目や耳や体のように自分が持って生まれたものだから、変えたいと願ったとしても大きな代償を払わなければ直せるようなものではない。

 

しかし人生は限られた時間しかないもので、大きな代償を払うことで限りある時間を無駄に過ごすことになってしまう。

それならば自分の持って生まれた欠点を受け入れるように、愛せるように、自分自身を作り変える方が有意義な人生を送れるんだよ。

 

そもそも自分自身の欠点だと思うようなところは、欠点だと思い込んでいるだけだ。

人と上手く関係を持てなかったり、みんなが出来るようなことが出来なかったり、人の気持ちを理解できなかったりするのは別に欠点なんかじゃない。

むしろ問題なのは、それが悪いことだという価値観を持って洗脳されてしまっていることに気づいていないことの方だ。

 

人と関係を持てなかったとしても生きていく方法はいくらでもあるはずなのに、それが悪いことだと思ってしまっている。

みんなが出来るようなことが出来ない人がいるからこそ助け合いが生まれるはずなのに、それが悪いことだと思ってしまっている。

人の気持ちを理解できないからこそ自分と他人は別の存在であると認識できるはずなのに、それが悪いことだと思ってしまっている。

その考え方が欠点というものを生み出してしまっているんだ。

 

客観的に見れば、きみの欠点は単なる特徴であって個性だと言える。

背が高い人もいれば背が低い人もいるし、太っている人もいれば痩せている人もいる。

それと同じように欠点だと思い込んでいるものは、ただの特徴に過ぎない。

 

背が高い方がいいとか、太っているのは良くないと思ってしまうのは、そのように考えてしまう価値観を持っているだけだ。

だったらそんな価値観は捨ててしまえばいいんだよ。

自分の欠点だと思い込んでいる特徴を捨てるよりも価値観の方がよっぽど簡単に捨てることが出来るんだからね。

 

自分がイヤだと思っていたはずの欠点だと思うような特徴は、環境を変えれば有効に使える役立つものだと分かることがある。

どんな特徴がどこでどうやって活きるのかは分からない。

けれど少なくとも今まで生きてきて活かす場面がなかったのだとすれば、そこは活かせる場所ではなかったということが分かったんだ。

 

場所を変えて、付き合う人を変えて、時間を変えて。

そうやって環境が変われば価値観だって変わるもの。

自分が持って生まれた特徴をどうやって活かすことが出来るのか、それを探す過程が人生において一番しんどいけれど、充実して楽しい濃い時間になるんだから。

 

 

 

辛くなったらまたおいで。

それでは。

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