空気が読めないよねって言われたら突き抜けてる証拠だ

空気が読めないせいで気まずい思いや恥ずかしい思いをしたり、なんとなく仲間外れにされてしまったりすることあるかな?

自分では何気なく思ったとおりにしただけだったのに、何がいけなかったんだろう?どうしたら良かったんだろう?自分は病気なんじゃないだろうか?なんて考え込んでしまっても正解は見つからないまま。

 

どうすればいいのか分からないから、状況をよくすることも出来ずに苦しみ続けることになる。

でもね、正解が見つからないのは始めから正解なんてないからなんだよ。

正解がないものをいくら探しても見つかるわけがないんだ。

 

だから苦しい思いから解放されるために正解を探すのをやめよう。

ないものを探すから見つからない、見つからないから苦しい、苦しくて何とかしようとまた必死に答えを探してしまう。

こんなことはもうやめよう。

 

空気の読めない人でもいいんだよ。

 

読むべき空気なんて存在しない

空気を読んで欲しいと思う人ってのは一人じゃいられない人、周りにも同じ考えでいてもらいたい人なんだ。

でもさ、そんなの無理なんだよね。

人の数だけ考え方があっていいし、意見がわかれることもあるんだから。

 

何から何まで同じ考えの人なんて、世界中探したって、きっとほとんどいないだろう。

生きてる間にそんな人に出会うことだって、きっとほとんどない。

それくらい人にはその人なりの考え方がある。

そんな難しいことに合わせようとするから苦しむことになるんだ。

 

人がどんな考えを持つかなんてその人の好き好きだけど、それを誰かに強制することはおかしなことだ。

空気っていうのは、自分の考えを押し付けようとする人が無理やり作っていたりするもの。

 

何を考えようと自分は自分でいい、そういう自由があるんだから空気を読めないよねって言われても気にすることはない。

自分を病気だとか発達障害だと疑って、無理に自分を悪者にしてしまうことなんてないんだからね。

 

人に合わせて生きることはない

人に合わせて生きてたら、自分のやりたいことなんて出来やしないよ。

批判が怖くて自分が思ったまま、感じたまま、考えたまま行動することも怖くなってしまうものだ。

デリカシーがないとか言うのは、自分が配慮されて当たり前だという傲慢さでしかない。

 

この人の言うことなら信じたいという相手の作る空気なら、合わせてもいい。

だって、それはきみが自分で選んだことなんだから。

でもなんだか違うなって納得できないような考えに合わせることはないんだよ。

 

誰かが作った空気に合わせなきゃって思うあまりに自分を見失ってしまっても、誰かが責任を取ってくれるわけじゃない。

自分で納得できるような考えを探して、選んで、それに沿って行動しないと後悔するのはきみ自身なんだ。

 

人との違いを認めればいい

色んな考えの人がいて、色んなところの出身の人がいて、色んな世代の人がいて、色んな人々が混じり合っている。

そんなところで正解を一つに決めようなんてのは不可能だ。

生まれた場所が違えば価値観だって違う、生まれた時代、育ってきた環境が違えば考え方だって変わる。

 

だからそれぞれが思ったように、感じたままに生きればいいだけなんだよ。

違ったものを許せないなんて面白くないじゃん。

 

違うからこそ助け合える、違うからこそ楽しい、違うからこそ意味がある。

そういうもんなんだ。

 

辛くなったらまたおいで。

それでは。

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