特別に工夫をしなければ、生きていく上で集団行動を取らされることはたくさんある。
一列に並んでみんなで移動したり、ただその場に立って誰かの話を聞いたり、周りに合わせて同じ動きをしたり、社会は割とそういうことで構成されている。
何の疑問を持たずにベルトコンベアに乗せられたように、誘導されるがまま集団に合わせるというのは頭を使う必要がないから楽と言えば楽だ。
だけど、列からはみ出すことを悪いこととされたり、ただその場に居合わせなければならないのが苦痛だったり、人と同じことをするのが受け入れられなかったりして、どう頑張っても集団行動に向いていない場合は生きるのが非常にしんどい。
大多数がそういった集団行動に馴染めるからという理由で、集団行動が出来ないことは良くないことだと思い込まされてしまっているけれど、そんなことは決してない。
少数派だとしても心地良く生きていける方法はあるんだ。
だから集団行動が嫌いでもいい。
集団行動が苦手なのに無理に頑張ることはない
集団行動に馴染めるのは人の動きに敏感に反応できて、それを思い通りにコントロールしリーダーシップを取れるようなタイプ。
そして自分で頭を働かせるのが面倒だからと、先導役に全てを委ねて後をついて行くようなタイプだ。
これに当てはまらず、集団行動が苦手だとしたら無理に頑張ることはない。
苦手を克服するためにはとてつもない労力を必要とするものだし、好きでやっていたり意識せずに難なくこなせてしまう人に比べるとものすごく効率が悪い。
同じ時間、同じ労力をもっと得意とするものに注ぐことが出来たならどれほどのことが出来るかを考えた方がいい。
集団行動を取ることが苦手だという特性を受け入れずに何とか克服しようとしてしまうのは、ただみんながそうしているという周りの圧力があるからだろう。
そういう少数派への理解のなさをひっくり返すためには、何かそのぶん秀でたものを示すしかない。
そしてその秀でたものを育てるためには、苦手な集団行動に労力を使っていてはなかなか上手くいかないものなんだ。
アウェイで戦わずにホームで戦える環境に身を置くことが得意なものを作ることに繋がり、自尊心を育てることにもなる。
苦手だと思えば無理に頑張ることなんて何もないんだ。
属しているグループが合わないだけ
グループというのはおおよそ同じような人間の集まりで成り立っている。
しかしたまに何かの間違いで、自分に合わないようなグループに属してしまうこともある。
どこかみんなとズレてしまって、自然な振る舞いが出来ない場合は属しているグループが自分と合っていない可能性も考えてみよう。
環境を変えて違うグループに属してみると、今までの苦手意識がウソだったかのように自然に振る舞うことが出来て集団行動も苦にならなくなることだってある。
自分に合った環境を見つけるために行動を惜しまなければ、いずれ自分にピッタリと合うようなグループを見つけることだって出来るんだ。
集団行動が苦手だと感じているなら、まずはその集団に無理に合わせることをやめてみよう。
そしてもっと自分に適したグループがないか探し回って、環境を変えることにエネルギーを注いでみよう。
そうすれば集団行動が嫌いだとしても、何の問題もなく生きていけるんだから。
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